1・17 共感ノート

やばい みきさんのメールが怖くて開けない。「やっぱりこの人は駄目だ。」とか「なんて優柔不断で大人気ないのだろう」とか「大した男性ではない」とか「頼りにならない」とか「めんどうくさいやつ」とか思われているのではないかと怖い。

教育者の自分は 落ち込んでいる うたがわしい はずかしい 不安な 心配な

それは 意思疎通 ほんものであること 気楽さ つながり(仲間との) つながり(みきさんとの)  安心感 心の平安 調和 希望 愛 安全の保障 支え 信頼

その中でも  希望 と  愛  と 信頼  が大切です。 とくに 信頼が大切です。

仲間への信頼 みきさんへの信頼 自分への信頼 大きな流れへの信頼

 

身体に感情を接続する

「ペーパーレスによって効率化」という正論を主張をするのではなく、「ペーパーレス化したら効率化するかどうかは微妙ですが、この仕事をむりやりつくって
評価されたいんです。これをやるとうちの課も評価されます。」というストーリーで上司に許可を取る。意味があるふりをして意味のない仕事をしている
「本当に意味のあることをする。」

私が尊敬するマイケルジャクソンは、「子供を守れ」という思想を流布させるために「つまらないポップ音楽」や「エッチなダンス」
といった偽装をし何億人に重要なメッセージを届けました。「つまらぬもののふり」は実に重要なアートなのです。

つまり、仕事をする上で、よって立つものは組織からの評価ではなく、「自分にとって意味のある仕事だという手応え」なのです。

自己嫌悪から意識を遠ざけ自愛の瞬間を増やしていく。ホースセラピー 身体全体で相手を信じる 身体全体で自分を信じる

ありのままの自分に寄り添われることで 身体の感覚が開いてくる。もともと人間は人間同士でもそうした関係をつくれるものなのです。
しかし現代社会ではありのままに寄り添う関係が消え、想像すらできなくなっています。

そうした立場ぬきの関係が身体の感覚を開き、自愛へといざなってくれるのです。

手放そう手放そうとするほど、手放せない自分を嫌悪してしまいます。それよりも別のチャンネルを増やすという発想をした方がよい
のです。自愛へと近づく時間を増やしていきましょう。

ではどうすれば自愛へと近づけるのか。それは感情を身体と接続させることです。

5感にアプローチするのも手です。散歩をしながら、雲が流れていくのを眺めたり、風を音を聞いたり、花の香を嗅いだり。
そういう体験を通じて湧き出てくる感情を注意深く観察する。

身体にアプローチして頭と身体を接続し自分の感情を味わうことが自愛へと近づくための早道です。

相手が離れてしまって悲しいのなら悲しみを味わう。

自己嫌悪を乗り越える

もともと自己嫌悪による「穴」ともいうべきものが心に空いていて、そこを埋めるために「空気を読む」という行為に出てしまうのです。

 自己嫌悪があるから」、ろくでもない行動をしてしまい、自分のろくでもない行動ばかり拾って、自己嫌悪を増幅させていく。

憧れは自分の欠けている部分を埋めようとする行為である。

自分にかけているものを持っているこの「あこがれの人」と仲良くできたら、好きになってもらえたら、認めてもらえたら、この「自分を嫌悪する感情」から逃れることができるのではないだろうか。

自己嫌悪を感じる→その理由を探す→太っている(才能がない)からだと自分で納得する。

ただ一緒にいる時間を楽しみ、たとえうまくいかなくなっても「お互いありのままの自分でうまくいかなかった」という現実を受け入れることができるでしょう。

本物の恋愛は、豊かな人間関係の中から始まります。 一緒にいて楽しい 居心地がいい ほっとする こういう具合に心が平安に向かう関係のみが長く安定しうるのです。

自己嫌悪の人は当たり前ですが自分が嫌いです。そして無意識で「他人も自分のことを嫌うに違いない」と思い込んでいます。

じゃあ本物の恋愛をするにはどうすればいいか。簡単です。 自分の気持ちを伝えること。そして相手の気持ちを聞くこと。

相手の反応はコントロールすることができません。「好きです。」と伝えても「ごめんなさい。」と返ってくることもあるでしょう。しかしこのコントロールできない状況に
身を投げ出すことこそ大切なのです。告白すると、自分はコントロールする側ではなくなります。恋愛は自分がコントロールすることはできない。


いやなことがあった時に立ち止まる。「相手がこうしてくれるはずなのに、してくれない。」と思ったら、ちゃんと相手を見る。

【幸福】不平や不満がなく、心が満ち足りていること

身の丈にあったこととは文字通り「自分の気持ちや身体に目を向けて、豊かさを味わえる範囲」または「家族や友人、ご近所のひとたちなど、普段実際に触れ合える親しい人たちを幸せにできる範囲

「身体の範囲内」人間ならばおそらく半径500mが心地いい空間だったらいいのです。

愛とは

さらに、2017年は
愛にとって救い・救われる
ような体験が出来る時でもあります。
前述のことは、愛がきっかけとなって実現するのかもしれません。
誰かと深く愛し合ったとき、
人は「生まれてきて良かった」と感じることがあります。
この世に生きていることをゆるされている
と感じることもあります。
愛し合う人々は、見返り無く相手のためを思い、
相手を支えるために動きます。
そうした行動そのものが、
人の心を救うことがあります。
愛は、人に対して
「ここにいてもいいよ」という
無限の承認を与えます。
私たちは自分がどこから来たのかも、どこに行くのかも解らずに産み落とされ、
なにもわからない世界と対決しながら生きることを強いられますが
そんな中で、愛を通してだけ、
私たちは
「無限の世界に自分も受け入れられた」
という不思議な実感を得ることができます。
2017年、そうした「愛の実感」を、
蠍座の人の多くが感じるだろうと思います。

2016年12/31自己共感

実家に帰った。父が居間で大仏スタイルで横になり、柿ピー的おやつを食べながら テレビドラマを見ている。それを見て 「ああ、お父さん大丈夫かな。」、「もっと体を大切にして欲しい」「もっと有意義な時間の使い方をしたらいいのに」と思った。そして思わず 私は 「柿ピー食べるの やめればいいのに。身体に悪いものばっかりはいってるよ。」と言った。そうしたら父はとても悲しそうだった。

それを見て、私の中の教育者が「またやってしまった。」、「これだから僕は口だけなんだ。」「非暴力コミュニケーションとかコネクションプラクティスとか学んでますって言っているわりには、身近な人に対する態度が全然 変わっていないじゃないか。」

「正義感ぶっているし、自分の正しさを押し付けようとしている。」「マチを生きもの色に染めるとか、田んぼを癒しの場所として開くとか理想は立派だけど、そんな人間性では何をやったってだめだ。」と言った。

そういう風に私の中の教育者が言っている時 教育者は、

後悔して 落ち込んでいて 途方にくれている 無力さ がっかり と感じています。

それは 教育者が

つながり 配慮・思いやり 尊敬・尊重 言行一致・誠実さ 信頼 を大切にしていて そして 中でも 

誠実さ・言行一致  つながり  配慮

を大切にしているからです。

特に 誠実さが       大切です。

内なる子どもは、

とても非暴力であることを望んでいて、人の生きる力を信頼したい と願っているんだけど 私が それを 実践できていないのを見て とても 悲しかった。

そして「柿ピー食べるの やめればいいのに。身体に悪いものばっかりはいってるよ。」と言った私は

不満で、 居心地が悪くて 希望がない感じがして 落ち込んで 悲しくて 心配でした。

それは 

心身の健やかさ 希望 貢献 サポートしたい ということを大切にしていたからです。

特に サポート 貢献  のニーズがありました。

一方で「大仏スタイルで柿ピーを食べながら題名のわからないテレビドラマを見る父」

は何を大切にしていたんだろう。何を感じていたんだろう。

さびしくて 落ち込んでいて 希望がなくて 傷ついて 退屈で 不安で 麻痺した感じかな。

それは、父さんが、

安心感 受け入れること 平和 聴いてもらうこと 理解 ありのまま 認めてもらうこと 愛 が大切だからですか。

その中でも 愛 が大切ですか。

インサイト

今 やっているアサザ基金でやっている谷津田に、家族にも来てもらってそこで一緒にお米を作る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年1月1日の自己共感

友人のフェイスブックの記事をみて、ある人がいいね していた。そのことを見て私はあの人は「私の記事にはいいねしてくれない。」と 

悲しくて さびしくて 落ち込んで イライラして 不満 がっかりして ねたましい 

と感じた。それは私が

価値の承認 つながり 共感 希望 支え・サポート 信頼(自分への) 協力 聴いてもらえること ありのまま見てもらうこと

を大切にしているからです。特に

つながり 

サポート 

信頼(私は私で大丈夫である。)     

が大切で そして 

「信頼」(私は私で大丈夫)   を大切にしています。

信頼 

インサイト 

コネクション・プラクティスの仲間を大切にする。コネクションプラクティスを毎日続ける。