2016年12/31自己共感

実家に帰った。父が居間で大仏スタイルで横になり、柿ピー的おやつを食べながら テレビドラマを見ている。それを見て 「ああ、お父さん大丈夫かな。」、「もっと体を大切にして欲しい」「もっと有意義な時間の使い方をしたらいいのに」と思った。そして思わず 私は 「柿ピー食べるの やめればいいのに。身体に悪いものばっかりはいってるよ。」と言った。そうしたら父はとても悲しそうだった。

それを見て、私の中の教育者が「またやってしまった。」、「これだから僕は口だけなんだ。」「非暴力コミュニケーションとかコネクションプラクティスとか学んでますって言っているわりには、身近な人に対する態度が全然 変わっていないじゃないか。」

「正義感ぶっているし、自分の正しさを押し付けようとしている。」「マチを生きもの色に染めるとか、田んぼを癒しの場所として開くとか理想は立派だけど、そんな人間性では何をやったってだめだ。」と言った。

そういう風に私の中の教育者が言っている時 教育者は、

後悔して 落ち込んでいて 途方にくれている 無力さ がっかり と感じています。

それは 教育者が

つながり 配慮・思いやり 尊敬・尊重 言行一致・誠実さ 信頼 を大切にしていて そして 中でも 

誠実さ・言行一致  つながり  配慮

を大切にしているからです。

特に 誠実さが       大切です。

内なる子どもは、

とても非暴力であることを望んでいて、人の生きる力を信頼したい と願っているんだけど 私が それを 実践できていないのを見て とても 悲しかった。

そして「柿ピー食べるの やめればいいのに。身体に悪いものばっかりはいってるよ。」と言った私は

不満で、 居心地が悪くて 希望がない感じがして 落ち込んで 悲しくて 心配でした。

それは 

心身の健やかさ 希望 貢献 サポートしたい ということを大切にしていたからです。

特に サポート 貢献  のニーズがありました。

一方で「大仏スタイルで柿ピーを食べながら題名のわからないテレビドラマを見る父」

は何を大切にしていたんだろう。何を感じていたんだろう。

さびしくて 落ち込んでいて 希望がなくて 傷ついて 退屈で 不安で 麻痺した感じかな。

それは、父さんが、

安心感 受け入れること 平和 聴いてもらうこと 理解 ありのまま 認めてもらうこと 愛 が大切だからですか。

その中でも 愛 が大切ですか。

インサイト

今 やっているアサザ基金でやっている谷津田に、家族にも来てもらってそこで一緒にお米を作る。